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『小林さんちのメイドラゴンS』10話について

そろそろ今年のアニメを振り返ってみますね。

 

『小林さんちのメイドラゴンS』10話のモチーフは、一言でいえばモダンニズムの震撼効果。19世紀末の視覚風景を考えてみよう。田舎者は初めて現代的都会に行き、刺激に満ちた情報量の充溢と予測不能な交通事故の危険性にあきれる。この社会的背景の中で展開される初期映画は、脱感作法の装置と考えられていた。

 

しかし、カンナはそのようなショックを全く感じさせない。これがいわば人間とドラゴンの違いであり、そもそも言語を瞬時に習得することは既に過負荷の行為でもあるし、彼女は人間社会では本当の意味の危機に直面しない。

 

都市景観のカオスによる生理的な眩暈、精神の崩壊は人間にしか観察されないし、逆説的に小林の住む町もカンナの目には田舎とは映らないのである。そこで、bパートではカンナが地下水道を理解しようとするのは、地面に隠された地下網がかえってドラゴン側に近いので、また不思議な気がする。なぜなら見えない=存在しない、熟視して気づかないというのもまさに人間らしい行為である。

 

つまるところ、非常に二元的な構図の中、その二元論のロジックに回収されえないカンナが提示され、その失効はある種の解答になるかもしれない。