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メモ:匿名の死について

SSSS.DYNAZENONを観るとき考えてたこと。

 

ミニチュアみたいな建物・町が破壊されたシーンでは、「匿名の死」は隠蔽されているのではないかな。

 

普段なら被災状況報告における名を持たず、ただ統計数字として記載された死者のことを指す言葉なんだが(僕が勝手に発明したタームなので「普段」というのもあくまで仮設に過ぎないが)、そういう事態をあえて考えると主人公の狭い視点に限られた物語、そして限られたからこそ成立できる無責任行動はまさに顔のない「匿名の死」を無視している。

 

反例として『チェーンソーマン』はあげられるだろう。後半、銃の悪魔が登場したシーンの表現は文字通りに「統計数字」としての死者を「リスト」に変える。それによってある程度「匿名の死」を解消される。

 

「幸い死傷者が出ていない」あるいは「誰も巻き込まれてなくて、良かった」のようなセリフは「匿名の死」を回避するのに全く機能しないのではないか。「匿名の死」は「特定の死」によってしか解消できず、「重ね合わせの生」によっては解消されない。

 

「重ね合わせ」、事後性と不確定性。  

 

「匿名の生」といえばより明白であろうが、そもそも匿名性というのは生に裏付けられた概念で、「匿名の生」というのは「生きる」の同語反復(トートロジー)にほかならない。他方で「匿名の死」は「見えない、知らないからこそ必然性を持つ生還」における必然性に疑義・裂け目を生じさせ、パラドックスと撞着語法の強度を獲得した。