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アニメ感想置き場;よろしくお願いします

生存報告 其の一

 

现在基本没混SNS,某种意义上是因为出于各种原因的自我厌恶以及自觉不应当把垃圾情绪带给别人。感觉还不错,正好最近也没什么像样的话题。

说到话题,四月番没放的时候,预计追番是17部,现在已经只剩5部了……

这也是为什么这季度没写anime日记的主要原因。

渡边新片各种意义上的协调性差得不可思议,虽然能理解那种轻松发散的风格。

至于几原新片,说实话看到现在七八话了只有武内回勉强达到预期。

巨人动画还是第一季好看,wit真的别做了,对大家都好。

我变了,很多片做不到像以前那样坚持追完了。

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2018动画电影随想

 

前记:本文动笔于2019年4月中旬。凡是大陆上映的动画电影,原则上笔者都会把初体验留到影院。由于国内引进时间的原因,部分动画电影拖到了今年初才得以一睹其真容。那么,为什么在《朝花夕誓》已经结束公映数月之后的现在,笔者才慢吞吞地写这篇记事呢?理由可以说是非常的私人:因为不想厚此薄彼,所以有意在看完每一部电影之后等热情彻底冷却下来再执笔。另一方面,《企鹅高速公路》实在是太晚,不想等了。话说回来,虽说主题是2018年动画电影,说到底也只是选择了《莉兹与青鸟》、《朝花夕誓》、《温泉屋小女管家》、《未来的未来》四部而已,其余的动画电影大多因为其定位本身在长篇动画系列的延长线上,所以严格地说不能算是“映画”。这篇记事因为是个人总结性质的所以就跳过冗长的科普和铺垫直奔在意的部分了。

纵观去年的动画电影,一方面能感受到电影创作主题的自由性,一方面又的确能观察到时代的潮流。选取的四部电影构成上都倾向于分散的片段,但是在电影体验上又重视连续性的时间感觉,这一共同特征不得不说令人颇为在意。

 

 

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「恋は雨上がりのように」第三話について

  2018年で一番気に入ったアニメの中で一番気に入った話数だと言えばやはり「恋雨」第三話。色々な意味で美しい一話だと思う。
  第三話について最も語りたくなるのは橘あきらというキャラクターのイメージの多彩さ。それに驚いたほど、そのイメージを多角的に描写した手段の豊富さ。

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  アバンであきらが起きて、マニキュア液を拭うシーンはディテールに凝って生活感をもたらした。前回の回想から目覚めたときの迷った顔と女性らしい仕草は実にリアル感や説得力があってさすがに女性演出家しかできない細かい描写だなと思う。このシーンからセリフを頼らず、キャラクターの内面をさりげなく描写するというのは第三話における全体的基調となっていた。

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「夢・想」について

  明けましておめでとうございます。大変お世話になっております。今年もよろしくお願いします。

  2019元旦快乐。新的一年希望能认识更多有热情有能力的同好。祝各位的行动力和实力更上一层楼。

前書き:この記事の元のタイトルはSSSS.神学政治論だったんですが、書く途中で自分の日本語は哲学を語れるレベルではないと悟って自重しました…
  人には夢がある。
  辞書によって夢想という単語に三つの意味がある:
  夢の中で思うこと。また、夢に見ること;
  夢のようなことを取り留めもなく思い浮かべること。空想;
  夢の中に神仏のお告げがあること。
  自分から見ると、夢想と名付けた第九話にはこの三つの意味どれも持っていたが、どれも外れていた。
  確かに第九話の展開は主に裕太たちの見る夢の中に発生したことだが、そもそも目覚めている裕太たちの住む町はアカネが怪獣を操って作る町で、ある意味今までこのストーリー自身はアカネという神様の勝手な夢に過ぎない。そこで第二層の解釈に進んで、つまり、タイトルはこのエピソードの内容がアカネの空想ということを示した、というのは間違っていないんだが、ここでまずアカネの身分を考えてみれば、彼女はワガママで淋しい神である。だというなら、ある意味で裕太たちが夢の中でアカネという彼たちの神のお告げを受けるという解釈も受け入れられるかもしれない。しかし、この三つの解釈を揃って考察すると問題が発生した。その致命的なエラーは、神様の空想は決して作り物の夢と同等なものになってはいけないというルールが違反されたということ。アカネが自ら作り上げた夢の中で、作り物のはずだった裕太たちの意志に耽っている。彼女はお告げをやるという道を選択しながらも、自分自身の夢のコントロールを自分以外の誰かに(よりにもよって自分が作った誰かに)任せて、自分の行為と神様である身分が矛盾した。その結果、神様は神様の夢に神の正当性をあきらめて、自分の立場から大きく乖離した。終盤でグリッドマンは言った:「だがまだ一人目覚めさせなければならない人間がいる。」自分にとってこのセリフは新条アカネが神の位置を喪失し、一人の人間となったことを示唆したのではないかと思う。
  くどくどしていてすみません、ここは本題です:「グリッドマン」第九話は夢想というタイトルの裏に喪失という主題がコアなんです。あるいは、夢・空想の喪失と日常の喪失ということです。まずは喪失について考察する。記憶喪失とか、意識喪失とか、第九話及びグリッドマン全編において喪失につながることが多く、キーワードとも言えるではないかと思う。物語の構成についてなぜ喪失が必要なのか、そしてキャラクターたちは何かを失ったゆえに何かが得られるなどのテーマが個人的に興味深いと思うのだが、脚本分析が苦手なのでここは表現の話に集中していくつもりです。つまりどうやってその喪失の必然性を予感させるのかという話です。

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「やがて君になる」第六話について

       演出の暴力に圧倒された。
  簡単に言えば「やがて君になる」第六話感想は以上です。
  詳しく言えば、演出の暴力に完全に圧倒された。ということです。
  比喩的に言うと演出家と視聴者の関係性は料理人と空腹な客の関係性に似ているのではないか。お腹がすいたときに人間が本能的に脂っこいものを食べたくなるのは、カロリーの高いものに生命活動に必要なエネルギーや熱量が高いからだ。そしてアニメの場合、カロリーの高いアニメも視聴者が本能的に見たいではないかと自分がそう考えている。そこでのカロリーとは基本的に視覚と聴覚に生理的刺激を与えられることを指している。もちろん、そのカロリーの高さはアニメを評判する唯一の標準にならないが(料理も脂が多いほどおいしくなるわけじゃないように)、ある程度で視聴者はアニメを鑑賞した後の疲労感に繋がって、そして疲労感(満腹感)はある意味で解放感と満足感といった感覚をもたらせる。
  やがて君になる第六話はまさにそういうカロリーの高いアニメの優れた一例です。

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